「明治美術」の時代、到来。

今スペイン・マドリッドでは、オリンピック招致反対運動が起きて居る。

経済状況の酷いスペインでは、「オリンピック招致よりも、先に遣るべき事が有るだろう」と考える国民達が、IOC委員達の目の前でデモをし、中には「次期オリンピックは東京で!」と書かれたプラカードさえも眼に入る。

その事を考えると、日本もオリンピック前に遣るべき非常に重要な事が有って、それは云う迄も無く「福島第一のフィックス」だと思うのだが、恐らく日本でも流されて居るで有ろうマドリッドでのデモを見ても、日本のメディアや国民は誰一人その事を云わない…それは一体何故なのだろう?

と云う事は、オリンピック迄に、或いはオリンピック開催中に大地震が起きたとしても、「何とかなる」と本気で思っているのだろうか?それ以上に、あれだけ予期出来ない自然災害を経験し、その後始末さえ出来ず、何よりも福島がフィックス出来ない内にもう一度地震が来たら、「前よりも悪い結果が待って居る」と判っているのに、で有る。

日本の平和ボケ・危機管理能力の欠如は、世界に害を齎す程に甚だしい…招致を進めている人間は、オリンピック開催日に地震が起きねば、この事を分からないに違いない。

さて本題。一昨日、筆者担当の「日本・韓国美術オークション」が無事終了した。

結果は、1日が終わってみれば中々の好成績で、ヴァリューでは78.6%、総額581万1438ドル(約5億5800万円)を売り上げた。高額商品上位3位迄は韓国美術が占め、トップ・ロットは18世紀の李朝白磁大壷の120万3750ドル(約1億1550万円)、次点がお馴染み朴壽根の「5人の座る人」で71万1750ドル(約6830万円)、3位が金煥基の「月と梅」で66万3750ドル(約6370万円)。

逆にトップ10の4位以下は略日本作品が占め、日本美術での最高価格は「カバー・ロット」の正阿弥勝義、超絶技巧のスーパー・リアリズム大作「彫金糸瓜形蔦蛇鼠花入」の33万9750ドル(約3260万円)。

以下、横山大観作「松鶴図屏風」が26万7750ドル(約2560万円)、江戸期漆飾棚が24万3750ドル(約2332万円)、並河靖之の「七宝藤蝶文六角瓶」が22万5750ドル(約2160万円)と、結果的に明治・大正期の作品にお金が集中した訳だが、鎌倉期の禅僧の書や桃山・江戸期の屏風2点を含めて、何だかんだ云っても1000万円以上の作品が8点も日本美術セクション中でも出たので、これはこれで良しとせねばならない。

また、その他に特筆すべきは、トップ10バイヤーの大半を個人コレクターが占めた事と、ボストン美術館から直接出品された、浮世絵版画が残した好成績である。

ボストン美術館出品の版画ロットの、当初の落札予想価格の総計は$32,800-47,700(約307万ー450万円)だったのだが、蓋を開けて見ると、総額$169,800(約1632万円)の売上げ!…全作品がウィリアム・スタージス・ビゲロー旧蔵だった事も有り、やはり名の有る「来歴」は、オークションで無敵の力を発揮すると云う事だろう。

そして、ここ最近良く有るのが、日本美術の各分野に拠って売れ方が全く異なると云う事と、前回売れたからと云って、今回も売れるとは決して限らないと云う事だ…それは、今回も午前中は会場に人も少なく、死んだ様に静かだったが、午後はまるで別のセールの様に人も多く、活気溢れるセールで有った事からも窺えるだろう。

例えば、前回のオークションで良く売れた印籠や禅僧の書は、何故か今回全くと云って良い程売れず、しかし、七宝や金工等の明治期の作品は飛ぶ様に売れる。この傾向は、海外の日本美術マーケットに於いては顕著で、絵画や陶磁器等のシリアスなコレクターが歳を取って購買意欲が衰えたり、代替わりをしたコレクター達の嗜好が、世の中と共に変化していると云う事の証である。

さて今迄「明治工芸」と云うと、「デコラティヴで、本格的なアートでは無い」とか「近代の作品で、余りに商業的だ」、「日本の芸術独自の『侘び寂び』が無い」等と説明されて来たが、果たして本当にそうだろうか…?

確かに今でも浮世絵や明治工芸を、狩野派や桃山陶磁器よりも「下」に見て居る日本美術史家も多く、斯く云う筆者もニューヨークに来た頃は、何処か心の片隅で「あんなのは、日本美術では無い!」と感じて居た事を告白せねば為らない。

しかし今、自分自身にも問うのだが、桃山の戦乱期に登場した利休、長次郎や織部と、明治維新に拠って登場した正阿弥勝義や並河靖之との間に、どんな違いが有ろうか?

例えば、正阿弥家は岡山藩お抱えの彫金師で刀装具を作っていたし、並河家は宮中に使える七宝師の家系で有った。そんな家に育った勝義や靖之は、明治維新に因る混乱に拠ってその職を失ったり、時代の変革と共に一介の職人からアーティストへと変貌を遂げる。

それは、江戸期の士農工商身分制度から解放され、今や誰に命令される事も無く、其れ迄に培った己の技術をフル活用し、「其れ迄無かった芸術作品」を作ろうとする芸術家としての自我の萌芽で有り、其処で生まれたアートは、その「革新性」に於いて桃山期のアーティストの精神と、その作品に勝るとも劣らぬと云って良い。

来年、三井記念美術館に於いて、村田理如氏の清水三年坂美術館コレクションの展覧会が山下裕二先生の監修で開催される。筆者の重要顧客でも有る村田氏は、1900年を挟んで開催された万博や、明治政府の殖産興業政策の一環に拠る「工芸品輸出」に拠って国外に出てしまった、明治期の美術工芸品を日本に買い戻し始めた最初の大コレクターで、そのコレクションは金工・漆工芸・染色・絵画に迄及ぶ、謂わば明治美術の集大成なので、是非とも観てその「凄さ」を体感して頂きたい。

「明治美術」は、もはや「異色の美術」でも「最近の芸術」でも無い…19世紀と云う日本美術史の1時代を確りと担う、紛う事無き「本格派で伝統的な」日本美術なので有る。

そしてその美術史的重要性は、マーケットの高騰と共に、これからも増し続けるに違いない 。